デッドヒートを制し二冠。今最もF1に近い?山本尚貴という男。
こんにちは。taraです。
先日、SUPER GTの最終戦が栃木県のツインリンクもてぎで行われました。
優勝したのは#8の「ARTA NSX」でした。チャンピオンの候補だった#100の「RAIBRIG NSX-GT」は3位チェッカー、#1の「KeePer TOM’S LC500」は4位でフィニッシュ、この結果#100がチャンピオンとなりました。ホンダにとっては2010年以来のタイトル獲得です。
ジェンソン・バトン選手にとっては2009年のF1チャンピオン以来の戴冠、山本尚貴選手にとってはスーパーフォーミュラに続く二冠達成となりました。
山本選手にとっては先日のスーパーフォーミュラの最終戦を思い出させるような息を呑むようなデッドヒートを制してのタイトルでした。彼はこの二冠により、F1への出走条件となるスーパーライセンスの発行条件を満たしました。
今回は、そんな「今最もF1で見たい日本人ドライバー」山本尚貴選手について語ってみたいと思います。
溢れる誠実さ。そこから付いたあだ名は「部長」。
まず一つ目は、彼の誠実な人柄。インタビューなどの彼の言動を通して特に伝わってくるのは、チームメイト、ライバル、そしてファンへのリスペクト。エゴイストの方が目立ちやすいレーシングドライバーの中で、彼の誠実さはむしろ珍しいとも感じます。
一部ではそんな彼の人柄から、ホンダの山本雅史MS部長と同じ名字ということあって「部長」というニックネームがつくほど。(本人はあまりよく思っていないようですが…)
「日本一速い男」といっても過言ではない彼ですが、それでも驕らないキャラクターは彼の魅力といっても良いのではないでしょうか。
悔し涙から嬉し涙へ。彼を変える二つの涙。
そんな山本選手ですが、ここまで順風満帆に来たわけではなく、悔しさも経験してきました。印象的だった二つの涙について話したいと思います。
まず一つ目に2012年のSUPER GT開幕戦。ファイナルラップまでトップを走っていた山本選手でしたが、あと半周というところで後ろを走るZENT SC430の名手立川祐路選手にオーバーテイクを許し2位でチェッカー。彼はこのレース後、悔し涙を流しました。当時のチームメイトであった伊沢拓也選手がずっと慰めていた様子が印象的でした。
そして二つ目に先日のSUPER GTの最終戦。チェッカー後にインタビューを受ける彼の目には、かつて流した涙とは別の涙が流れていました。紛れもなくチャンピオン獲得による嬉し涙。もしかしたら、不遇の時期を過ごしてきたホンダにタイトルをもたらした安堵感もあったのかもしれません。日本レース界のレジェンドである高橋国光さんや、チームメイトのジェンソン・バトン選手にまで「NSXの神様」と言わしめたのです。ホンダのエースとなった彼はもはや、日本を代表するドライバーになったと言っても過言ではないでしょう。
幾多もの感動的な優勝シナリオ。
彼の国内トップカテゴリでのチャンピオン経験は3回を数えます。今年獲った2つのタイトルの前に、2013年のスーパーフォーミュラでチャンピオンを獲得しています。
チャンピオン決定レースとなった2013年の最終戦。
私は当時現地で見ていましたが、雨が降ったり止んだりと本当に難しいコンディションの中、何度もピンチを迎えながら意地でポジションを守りきった姿に感動したことをはっきり覚えています。
これは今年のスーパーフォーミュラの最終戦。
どちらのレースも最後までどう転ぶかわからない本当にエキサイティングなレースでした。チャンピオン決定のレースに印象的なパフォーマンスを見せてくれるところも彼の魅力。感動的な優勝ばかりなのです。
彼をトロロッソで見てみたい!
ここからはただの希望垂れ流しなのですが、トロロッソのシートに山本選手を乗せて欲しいなあと思っています。
年齢的には少し厳しいかもしれませんが、ホンダもおそらく2014年の小林可夢偉以来の日本人ドライバーの誕生を望んでいるはず。トロロッソのシートの2枠目にはハートレー残留やアルボンの起用など様々な噂がありますが、個人的には山本選手の抜擢もあるのではないかと。これが「今もっともF1に近い日本人ドライバー」と書いた理由です。
元F1ドライバーや将来のF1ドライバーの参戦によって一時期よりも世界との距離が縮まりつつある日本のトップカテゴリ。もし山本選手がF1へ行くことになれば、その距離はさらに近いものになるのではないでしょうか。